今日は終戦記念日なので、火垂るの墓について書いてみたいと思う。
火垂るの墓は、野坂昭如氏の直木賞を受賞した短編小説であるが、今回は1988年にジブリによってアニメ映画化されたものについて書きたいと思う。
その前に火垂るの墓のあらすじをおさらいしよう。
1945年(昭和20年)の太平洋戦争の末期の6月、神戸に住む清田(14歳)と節子(4歳)はアメリカ軍の空襲に遭い、降り注ぐ焼夷弾の中、なんとか逃げ延びるが、母と家を失う。
数時間前まで元気だった母親が血まみれの包帯巻きになって出てくるシーンを忘れられない人は多いのでは無いだろうか。
西宮に住む親類の家に身を寄せるが、二人を邪魔者扱いする叔母と関係がこじれ、二人は家を出て貯水池のほとりの防空壕で暮らすことになる。
配給が途切れがちになる中、頼れる身内もおらず、近所付き合いがなく、隣組に入らなかった二人は、十分な食料が得られず、節子は衰弱していく。
清田は空襲の際に火事場泥棒や深夜の野菜畑で泥棒を行うが節子の衰弱は止まらない。
そのような追い詰められた生活の中でも節子は無邪気さを失わない。
畑泥棒で捉えられ、ボコボコに殴られた後、派出所まで清田を追いかけて来た節子が泣きはらした顔で、号泣する清田に「どこ痛いの?いかんねえ。お医者さん呼んで、注射してもらわな」と清田を気遣うシーンは強く心を打つ。
ある日貯水池のほとりで倒れている節子を見て、清田は病院に連れて行く。節子はやせ細り肋骨が浮き出て、身体中に赤い斑点できているが、医者からは「滋養のあるものを食べなさい」と言われるだけで、何の治療も施されない。
清田は貯金を全て下ろし、食料を買うが、時は既に遅く、節子は死んでしまう。
銀行で日本の敗戦と父の死を知った清田には生きる希望も理由も、何もかも失ってしまった。全てを失った清田も三ノ宮駅で死ぬ。
貯水池の丘の上の屋敷に戦中に禁止されていた洋服をオシャレに着こなした若い女性が疎開地から帰ってくる。蓄音機からは戦前流行っていたイギリス民謡の「Home, Sweet Home」が流れる。
Sweet Homeに帰れた家族と帰れなかった清田と節子。なんとも悲しいコントラストである。
曲が掛かっている間、節子が貯水池で一人遊びをするシーンが繰り替えされる。
この愛らしい姿は、この貯水池の防空壕こそ、清田と節子のSweet Homeであったというメッセージだろう。二人に対する高畑監督の愛を感じずにはいられない。
さて、ブログを本題に戻そう。
今回は個人的な体験とウェブ上での反応から「火垂るの墓」について書きたいと思う。
まず個人的な体験からだが、7−8年前に韓国人の青年と飲んだ時の話である。
その青年はグラフィックデザイナーとして活躍していて、日本の大変有名なアニメで重要かつ印象的なシーンを描いていた。韓国では芸術を専攻していたらしい。
共通の友人も自分もアニメが好きだったので、3人で新大久保で韓国料理を食べながら飲むことになった。彼の仕事の話を聞きながら、3人とも好きなアニメの話になり、その中でジブリ作品の中で何が一番好きかという話になった。
どの作品も良いので1番か選ぶのが難しいということになったが、自分が「火垂るの墓はジブリの中で一番悲しい作品であり、アニメ史上、節子は一番かわいそうなキャラクターだ」と言った。
彼は「火垂るの墓は良い作品だが、納得出来ない」と言った。
戦中からの日本と韓国の関係を考えると彼の「納得できない」という複雑な気持ちは理解できる。
その時随分酔っ払っていたし、当時、自分がかなり生意気だったこともあり、また彼は良い人そうだし、分かってくれそうだったので、
「節子はまだ4歳で、国家とか戦争とか敵とか何も分からないままに死んだし、大人が始めた戦争の責任とかそういうものとは関係なく、ただ、可愛かった節子が死んだことを悲しむという映画っていうことでいいんじゃないかな?」
と本音を言ってみた。彼はそのときは何も言わなかったと思う。
そのあともアニメの話などで盛り上がり、韓国ビールの hiteとマッコリを呑みまくった。
別れ際に彼から両手で熱烈な握手を求められた。その時の彼の熱い眼差しが忘れられない。
さて、ところ変わって、ネット上での火垂るの墓の反応を見ていきたい。
ジブリ作品は世界各国で上映、blu-ray、 DVDの販売がされている。アメリカではディズニーが配給元になっている。
映画評も多くあり、その中にも火垂るの墓の映画評もある。
その中から毎日映画というYoutubeで日本のアニメや映画を紹介する二人の映画評を見てみよう。
彼らは映画を見た感想を「とても心乱されている」と語り、火垂るの墓を「Bad movieで、Good movie, Great Movie」だと評している。また「美しいストーリーでオススメだ」と語り、また日本語で「悲しい」「悲しかった」と言っている。
10/09/07 - Grave of the Fireflies (火垂るの墓)
アニメ以外にも北野武氏などの映画評を行なっているが、他の映画評が数千の再生回数に対してこちらの動画の再生回数は15万を超えている所を見ると、火垂るの墓の注目度が高いことが伺える。日本からのアクセスも多いかもしれない。
こちらは火垂るの墓を見終わった後の号泣する少女の様子だ。
また海外の日本に対する様々な反応を翻訳しているブログ「世界はこれに恋してる」から映画評を引用させてもらおう。
【ブログ】世界はこれに恋してる
アメリカ人『火垂るの墓』を見る。海外反応「戦争に対する態度をまったく変えてしまう映画」
http://blog.livedoor.jp/world_loves_us/archives/40625046.html
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★★★★★★★★★★「戦争の本当の犠牲を教えてくれる、美しくて忘れがたい傑作」 Earely (アメリカ)
昨日火垂るの墓を見ようと決めた。私の友達は物凄く感動的で悲しいと言っていた。最初はためらったけれど、「わかった、見てみる」と答えた。映画の最後では、目から涙が溢れた。今まで見た中で最高のアニメ映画だ。戦争の被害者となった孤児の運命を感動的に描いている。
この映画は一般的なアニメ映画ではない。ピクサーやディズニーの映画はハッピーエンドだ。そういう映画が悪いと言いたいのではない。もちろん素晴らしい作品たちだ。でも火垂るの墓は真実を伝えている。視聴者を楽しませようとはしていない。戦争が本当はどのようなものなのかを伝えようとしている。思わず涙を流してしまうようなたくさんの場面があった。
この映画が受けるべきたくさんの賞を受けなかったことは納得がいかない。これについてはまったくもって過小評価されているし、顧みられていない。きちんと尊重され、評価されていたとしたら、この映画は我々の歴史に残っただろう。この映画がオスカー賞の最優秀アニメ映画を受賞するべきだと確信している。スタジオジブリの発表した作品の中で一番だ。
ハンカチを用意するよう真剣にお勧めする。泣く機会があるから。
万人に見るようお勧めする、感動的な大作アニメ映画。
文句なしの10点。
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★★★★★★★★★★「二度と見たくないだろう最高の映画」 Nogami (カナダ)
2年前、火垂るの墓をシアトルの映画館の大きなスクリーンで見る機会があった。まさにその映画祭のために遠出した甲斐があった。映画の最後には、場内は静かに、完璧に静まり返っていた - そして、エンドクレジットが終わり館内の照明がつくまで、たまにすすり泣きが聞こえるだけだった。なにか言葉を発してその静寂を冒涜することは無礼なように思えた。
戦争に対する態度をまったく変えてしまう映画 - 本当に苦しんだ人を描いており、苦しみの内に失われたものについて真剣に考えると、名誉や栄光などは底の浅い見返りだと気づかされる。
以前友だちに、もしこの映画で心を動かされない人がいたとしたら、その人には魂がないと言った。この映画を見るには、電話の電源を切り、照明を落とし、誰か愛する人と一緒にこの映画に没頭する - 見終わる頃には良い人間になっているだろう。
この映画にはたくさんのレビューがついているが、ほとんどはおそらく僕のよりもっと包括的だろう - 僕の結論だと、この映画は万人が人生のどこかで見るべきだ(広島や長崎の平和記念館を万人が見るべきであるように)。
戦争や争いをニュースや新聞で見たら、この映画のことを思い出して - 視野が広がり、更に目が見開かれるだろう。
この映画は4回くらいしか見ていない - 見た後「気を取り直す」のに1年かそこらはかかる。何度も見過ぎると印象が弱まるし、それはこの映画に対して最悪のことだ。
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火垂るの墓には日本を攻撃したアメリカ兵は全く出てこない。
攻撃の象徴としてのB29だけである。誰が敵で、誰が味方で、ということを描かなかったからこそ、世界中で共感が得られるのではないだろうか。
では二人の兄弟はなぜ死んだのか?自分は戦争が起こったからだと考える。
戦争を引き起こす、イデオロギーや国家の対立、権益の奪い合い、領土問題。
節子はそのようなものに加担していたのだろうか?そのようなものに責任を負うべきだろうか?
彼女は全くそのようなものに関わって居なかったが、そのようなものに巻き込まれて死んだ。
戦争や紛争が起これば、必ず清田や節子のような少年少女がうまれる。
二人のような犠牲者を出さないためには戦争を回避する以外に方法は無く、それは現在も未来も同じであろう。
映画には様々な見方が出来、どのような解釈をするのも自由だ。
自分は火垂るの墓を「戦争によって二人の少年少女が死んだ悲しい映画」と捉えようと思う。そこには時代や国籍などは関係ないと思う。
そして、では、二人のような子供達を生み出さないためは、今後どのように戦争を回避するかということを真剣に考え続けなければいけないと思う。